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神社の起こりと発展

権禰宜 瀨戸 一樹

今回は、日本人の信仰の中核をなす神社の起こりやその後の発展について、お話したいと思います。

私は大学生のころ、いろいろな神社を実際にお参りして信仰心を養いなさいと先生によく言われました。その言葉に従って、参拝した神社は数多く、その中で多くのことを学び、神社の奥深さに心を揺さぶられ、その経験が私のたいへん貴重な財産になっています。

しかし日本人にとって大切な 神社 そのものについて、意外とご存じない方が多いのではないでしょうか。今回の神社だよりでは、神社の変遷についてお話して、その中で神社を少しでも身近に感じていただければ幸いです。

皆さまは神社には建物(社殿)があって、そこには常に神様がいらっしゃると思っておいでではないでしょうか。しかしそれは、神社本来の姿ではありません。

御霊が宿る御幣写真
御霊が宿る御幣

そもそも私たちが祈りを捧げるカミとは、御霊(みたま)であって、目に見えない存在です。人間の魂(たましい)が目に見えないのと同じです。

では見えない神様をどうやって拝むのでしょうか。答えは神様を、神様の世界からお呼びして、私たちが見える物体に移っていただくことです。日本人は昔からその場所を「祭場」として、神祭りをし、祭りが終われば、また神様の世界に帰っていただく。それが神社の古い姿であり、神社の原点なのです。

その物体のことを神社では、「御霊代(みたましろ)」と呼びますが、一般には「ご神体」といった方がわかりやすいかも知れません。

神霊が宿る「物体」としては、鏡、剣、玉、御幣などのほか、樹木、石、山、滝など自然そのものを御霊代として祭るケースも多くあります。いずれも神霊の憑(よ)る物体は、清浄で神聖であることが絶対条件とされます。

それではここで、私が参拝した神社の写真をお見せしながら、古い形が残る神社について幾つか紹介したいと思います。

① 神籬(ひもろぎ)…まずは、臨時に設けられる御霊代から紹介します。これは今も地鎮祭などで、しばしば見られる形です。ヒは霊のことで、ヒモロキとは神様が宿る木の意味です。青竹を四隅に立て、しめ縄を四角に廻らし、中央に榊などの常緑樹を立てて、そこに神様をお呼びするのです。
一時的に設けられる御霊代には、神輿(みこし)や山車(だし)なども含まれます。

② 磐座(いわくら)・磐境(いわさか)…イワとは岩石のことであり、全国各地に信仰された形跡が広く残っています。大きくて神々しい姿の岩があるかと思えば、ほとんどは地中に埋まって、拳の大きさほどしか地面に現れていない石もあって、その形は様々です。

天石立神社(奈良市)写真
天石立神社(奈良市)

日吉大社(大津市)写真
日吉大社(大津市)

天石立神社(奈良市)写真
天石立神社(奈良市)

日吉大社(大津市)写真
日吉大社(大津市)

写真は天石立神社(奈良市)と日吉大社(大津市)ですが、速谷神社の鳥居そばにある権現山(ごんげんやま)も、古代、安芸国の人たちが祭祀をした磐座ではないかと考えられています。

権現山写真
権現山

丹生川上神社上社(奈良県川上村)写真
丹生川上神社上社(奈良県川上村)

権現山写真
権現山

丹生川上神社上社(奈良県川上村)写真
丹生川上神社上社(奈良県川上村)

一方の磐境ですが、こちらは複数の比較的小さな岩石を敷き詰めて設けた祭壇です。写真は丹生川上神社上社(奈良県川上村)で、この磐境は本殿の床下より発掘されました。

御上神社(滋賀県野洲市)の三上山写真
御上神社(滋賀県野洲市)の三上山

③ 神奈備山(かんなびやま)…神隠(なび)山の意味で、神の鎮まる場所、神聖な森や山を指し、「神体山」とも呼ばれます。大神神社(奈良県桜井市)の三輪山や富士浅間神社(静岡県富士宮市)の富士山、御上神社(滋賀県野洲市)の三上山などが有名です。人々の集落から美しく眺められる山で、山そのものに神が宿る御座所とされます。その山中には磐座や磐境が点在していることも少なくありません。

御稲御倉写真
御稲御倉

④ 秀倉(ほくら)…伊勢の神宮(三重県伊勢市)には、三種の神器のひとつ「八咫鏡(やたのかがみ)」、熱田神宮(名古屋市)は、「草薙神剣(くさなぎのつるぎ)」がご神体として祭られていることはよく知られています。こうした神宝を安置した建物・倉庫のことを、一般に「秀倉」といいます。伊勢の神宮には御稲御倉(みしねのみくら)という建物があり、そこにはお米を保管されています。人間の命の源である米は神様が宿る神聖な食べ物ですから、御稲御倉も秀倉のひとつです。

速谷神社写真
速谷神社

⑤ 古墳…二子山古墳の上に鎮座していた物部神社(愛知県春日井市)など、神様の御墓、つまり古代の豪族の長(神様)の墓を子孫が拝み、その墓自体が神社になっていくという例があります。日本人の歴史は神様と人間との系譜に断絶がありませんので、神様のお墓と言われる古墳はたいへんに多いのです。
速谷神社も本殿の下には巨大な岩石があるといわれており、磐座か、あるいは古代の墓・石室とする説が有力です。

このほか全国には滝(熊野那智大社)や島(厳島神社)、井戸(田村神社)などを古くは御霊代とした神社もあって、その種類は実に多彩です。

日本人はこうした自然や、人間が生きるために必要不可欠なもの、人の力や知恵を越えた大きな力に神様を感じ、そこに祭場を設けて神様をお呼びし、祭祀を行ってきました。そして社殿も祭りごとに、いたって簡単な建物を建てて、終われば撤去してしまう。それが日本人の古代の信仰の姿なのです。

これまでに紹介した神社には現在、いずれも何らかの常設の社殿が築かれています。神社も時代とともに、神様の宿る場所には雨風をしのぐ「本殿」が築かれ、その前には参拝者が拝礼する「拝殿」ができていきました。神体山の麓や古い磐座のそばに、今では立派な社殿が建っている姿をよく拝見します。その場所では古代、私たちの先祖が青空のもと、石を積み上げ、榊を立てて、素朴な祭祀を行っていました。その光景を想像してみるのも楽しいことです。

ここまで神社の歴史を簡単に説明してきましたが、神社は日本人とともに起こり、発展してきました。それぞれの神社の起こりや展開は千差万別です。神社は長い歴史の中で、時代とともにその信仰の形を変えてきました。

しかし古代から現在に至るまで、変わらず人々は神前に額(ぬか)ずき、祈りを捧げてきました。私たち日本人の信仰の核、それは神社です。皆さんがこれから神社に参拝される時、まことの祈りを捧げることはもちろんですが、その神社の歴史にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

第6号 平成23年7月1日

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