メイン画像

ご祭神ご祭神

安芸建国の祖神

安芸建国の祖神

飽速玉男命

当社にお祀りする飽速玉男命は、古代、安芸国を開かれた大神です。成務天皇の時代に、安芸国造(あきのくにのみやつこ)を賜り、広く国土を開拓し、産業の道を進め、交通の便を開き、安芸国の礎をつくり固められた安芸建国の祖神です。

ご由緒ご由緒

山陽道随一の神格を誇る

山陽道随一の神格を誇る

当社は平安時代、国家から官幣大社に認められ、朝廷から特別に篤い崇敬を受けました。官幣大社は、中国九州地方には当社しかなく、山陽道八ヶ国でも最高の神格を誇りました。

詳しく見る

千八百年の歴史
当社の歴史は非常に古く、ご鎮座の年代は明らかではありませんが、安芸国の民が大神の恩徳を敬慕し奉斎した創祀千八百年となる古社です。

皇室からの崇敬
平安時代にまとめられた延喜式によれば、当社は名神大社(官幣)に列せられ、延喜式所載の安芸国三社(速谷神社・嚴島神社・多家神社)の中でも格別の待遇を受けました。
瀬戸内海で起こった藤原純友の乱鎮定のご神威に感謝し、朝廷は正四位下の神階を奉りました。
天皇陛下は平成に入って三度、当社に幣饌料を奉納されています。

武家からの信仰
室町時代より安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆、福島正則、毛利元就、さらに広島藩主の浅野光晟以下歴代藩主らが篤く信仰し、神宝社領の寄進や社殿の造営修復を行いました。

明治時代に新たに定められた制度によって、大正十三年に国幣中社に列格。戦後は、神社本庁所属の別表神社となりました。

速谷神社の初見

日本後紀
速谷神社が正史にはじめて登場するのは、嵯峨天皇弘仁二年(811)。安芸国速谷神と伊都伎島神(厳島神)がそろって名神に列せられたことが「日本後紀」に記されています。

ページトップへ